2009年10月30日金曜日

警戒厳重な歴史的建造物、大阪図書館

大阪の中之島を散策する機会があり、大阪府立中之島図書館へ立ち寄った。明治37年に住友家の寄付により建てられた由緒ある歴史的建築である。当時は大阪に図書館が全くなかったため、正面入り口上の銘版には「大阪図書館」と刻まれている。

残念ながらこの立派な入り口は普段は使われておらず、利用者はその両脇の通用口のようなところから出入りする。入って面食らったのはその入館手続きの厳重さである。

まず受付でロッカーの鍵を渡される。そこでロッカー室へ向かう。ロッカー室には高校で三十年間使われてきたような、錆が浮きまくったボコボコのロッカーが並んでいる。そこにバックなどの荷物をしまう。閲覧室へ持ち込みたい物品は、受付でA4サイズぐらいの透明な硬質ビニールの封筒を借り、そこへ入れて持ち歩く。海外ドラマに出てくる刑務所などへ入場する場面を思い出した。

受付で館内の写真を撮っていいかと聞くと、二階にある相談窓口へ行けという。行って聞いてみると「写真撮影許可申請書」を書けとのこと。撮影できるのは玄関ホールだけで、利用者が写らないように撮らなくてはならない。申請書に住所氏名から撮影目的(研究、観光、記念など何でもいいそうだ)、撮影時間(私は記入時の時刻から15分間とした)なども記入する。なお申請書と引き換えに写真撮影許可証(胸ポケットに留める名札のような形状をしている)が貸与され撮影中に着用する。

そうして撮影したのがこの写真である。確かにこれだけの手間をかけても撮る価値のある建築かもしれない。

いろいろな公共建築を見てきたが、特に写真撮影に関してここまでの手続きが必要なのは初めてであった。もちろん撮影禁止よりは遥かにいい対応である。非常に厳しい印象があるかも知れないが、受付でも相談窓口でも、係員は皆さんとても懇切丁寧である。私は写真だけが目的だったので館内に居たのは十五分ぐらいだろう。退出する際に受付の係員から「もうお帰りですか?お気おつけてお帰りください」などと声をかけられたぐらいである。手続きだけが何故か厳重なのである。

図書館はテロの対象になる可能性が高いのだろうか?と思ってしまった。悲しいことだが最近は図書のページを切り取ったりする利用者が多いと聞く。むしろ利用者のマナー対策だろうが、全く残念なことである。

2009年10月23日金曜日

立派だった大宰府跡

出張で博多へ行く機会があった。実は今年は何回か博多へ行っているのだが、今回はたまたま週末を博多で過ごせたので、思い立って太宰府天満宮と大宰府跡へ行くことにした。何れも行くのは初めてである。大宰府跡が予想と違っていて少し驚いた。思っていたよりかなり立派だったのである。敷地の広さや柱の礎石の数と大きさから、多くの立派な建物が立ち並んでいたことが伺える。説明の看板にある復元予想図を見ると三階建ての宮殿だったりする。大宰府は平城京のように塀で囲われており、人々は朱雀門のような大きな門から出入りしていた。また塀の外にも役所の建物が広がっていた。流石に平城京や平安京のような規模ではないが、当時の人口や国力を考えればかなりの大都市なのではないか。実際に九州の統治に加えて外交と防衛の要衝でもあった。
大宰府は菅原道真が左遷された場所であり、左遷された恨みで祟りがあったぐらいだから掘っ立て小屋のようなものが数軒並ぶだけの相当に寂れた場所を想像していた。だが全く違っていたようだ。だとすれば果たして祟るような話だったのか。私自身は東京のようなゴミゴミして忙しない大都会を離れて地方都市で暮らすのも悪くないのだろう、と思う今日この頃である。時代が違うので今の感覚では計れないが、少なくとも当時の九州にもそこで生まれ育った人々が暮らしていたわけで、そこへ転勤になったからといって嘆くなら地元の方々には失礼ではないか。

最近読んで似たような感想を持った小説が山崎豊子の「沈まぬ太陽」である。会社の金でアフリカへ何年も行けるなど、羨ましく思うのは私だけだろうか。主人公の生き様にもあんまり感情移入できなかったのは、やはり時代が違っているからなのか。

完成引渡しとオープンハウス

予定通りに物件が完成し、9月27日に完成引渡しが行われた。特に大きな問題もなく着工してからは順調そのものであった。本当に良かったと思う。引渡しの一週間後には近所の人にオープンハウスをした。もう入居者が決まっている部屋があり、オープンハウスでは全六戸のうち四戸しか公開できなかった。
ここが賃貸の面白いところで、貸してしまうと自分の所有物でありながら立ち入ることはできない。完成引渡しとオープンハウスが、自分の目で直接部屋を見ることのできる数少ない機会の一つだったのである。キッチンの仕様や玄関のドアなど、自分は色や質感も考えて材料やオプションを選択したわけだが、自分がそれを楽しむことはできない。自分は東京に居住し物件は大阪である。賃貸経営も一括借り上げシステムなので入居者に会うこともない。空き室が出たタイミングで大阪に行けるとは限らない。次に部屋を見る機会は何年もないかも知れないのである。完成したのは嬉しいが、そう思うと少し寂しい。

2009年8月8日土曜日

越境

自宅跡地を更地にして、基礎が完成した時である。施工してくれている生和建設から隣の家との境界のことで報告があった。隣の家屋の庇がわずかに越境しており、私の土地の上にはみ出しているのである。見てみると確かにそのようである。左の写真がその場所である(2009年6月に撮影)。

この越境は今回建築中の建物には影響しないため、隣の家とはお互いに事実を確認し、もし隣が建て直しや改築をする際には是正するという話になった。

長い年月を経るうちに土地の境界は次第にあいまいになる。特に戦前戦後からある住宅密集地では、お互いにどこが正式な境界かもわかっていない事も多いらしい。そんな状況で家の増改築や修理をすると、知らず知らずのうちに越境してしまうことになる。実際にこういう例は多い。私の家は築八十年ぐらいだったが、隣も似たような築年数なのである。

亡くなった母は、こういう状況を想定してか、亡くなる2年前に土地を測量し直していた。ちゃんと境界を明確にし、隣接する全ての土地の所有者と「筆界確認書」まで作成していた。土地がそこそこの広さ(500㎡以上)だったためか、この測量には七十万円ほどかかったようだ。これは土地を所有し維持管理するためのコストである。土地にかかるのは固定資産税だけではないのである。

2009年8月6日木曜日

玄関に見る、安藤建築の厳しさ

幸運にも都内にある安藤忠雄設計の個人住宅の内部を見学できる機会に恵まれた。大使館などがある閑静な住宅地にある、敷地面積136㎡、建築面積218㎡、1993年竣工の鉄筋コンクリート造3階建、最寄り駅から徒歩9分の作品である。これも売りに出ており3億6千万円という法外な価格がついている。立地や大きさからはかなりの高級住宅だが、この価格は相場よりも相当に高いと思われる。
興味深いことに、この住宅は安藤の作品集、作品リストには一切出てこない。従って作品の名前もわからない。理由として安藤本人が気に入っていないこと、または所有者が公表を望んでいない事等が考えられる。私自身が見た限り、お約束の中庭やスリット、曲面と直線の組み合わせなど安藤らしい作品で、失敗作とは思えない。

「住吉の長屋」のように雨の日は傘が無いとトイレに行けないといったことも無く、デザイン重視だが機能的には普通の家との印象だった。しかし最後に退出する祭に玄関で「あっ」と思うことが出てきた。左の写真がその玄関だが何か気が付かれたことはあるだろうか。

「上がりかまち」が半端に低いとか、そう言うことではない。下駄箱がないのだ。壁に埋め込まれた収納もない。しかもこの通路の幅や、デザイン的な観点からは何らかの収納家具を設置することは全く配慮されていない。だから家のどこかに履物類をしまうスペースを確保し、そこから靴を出し入れしなければならない。写真からその収納スペースは玄関の直ぐ傍には確保できないことがわかるだろう。

履物だけではない。傘、コート、手袋、その他の出かける際の準備は玄関に到達する数メートル手前で「完成」していなくはならない。毎日の事で、これがどれ程大変で苦痛に満ちたものなるかは想像に難くない。ある意味、このままの状態で暮らすには「住吉の長屋」以上に厳しい家かもしれない。

もしかしたら他にも見落としたことがあるのかも知れない。本当に油断の出来ない、巨匠の隠れた作品であった。

雑誌「新建築」

2年ぐらい前から雑誌「新建築」を年に2回買っている。2月号と8月号であるが、何故かと言うと2月号と8月号が集合住宅特集だからである。

もちろんそれ以外の号にも素晴らしい集合住宅の作品があり、できれば買いたいのだが一冊2千円という価格が気になってしまう。それに毎号買えばあっという間に増えて置き場所にも困ることになる。素晴らしい作品のカラー写真と図面が満載の、雑誌と言うには豪華過ぎる新建築は精神的に捨てることが困難である。だから買わないに越したことはない。

今回の2009年8月号にも魅力的な集合住宅が多数収録されている。各作品の敷地面積、床面積などの基礎データは掲載されているが、残念なことに建設費や家賃まで載っている例はほとんどない。大家の一人として、こんな素敵な作品は建築に一体幾らぐらいかかるのだろう、収益率はどうなっているのだろう、と思わずにはおられない。

どんなに素晴らしい作品でも集合住宅である以上、収益性を無視しては成り立たないはずだ。その背後にどのようなビジネス上の計算があるのか是非知りたいものである。まして作品が素晴らし過ぎて、とても家賃では回収できないように見える場合はなおさらである。

2009年5月11日月曜日

売りに出ている安藤忠雄の住宅

驚いたことに安藤忠雄設計の個人住宅が売りに出ている。しかも二軒あり、いずれも東京都内である。その内の一軒が今回取り上げる「金子邸」である。

渋谷区の閑静な住宅地にあるこの作品は、夫婦と子供一人の3人家族のために設計されたが、二階建て延床面積169平米、敷地173平米、ベッドルームが3つにリビングとダイニング、お約束の中庭と吹き抜け、そしてガレージがあり最寄り駅徒歩5分という、昨今の基準からはかなりの高級物件であろう。竣工は1983年で築26年だがメンテナンスはよくされているようだ。

価格は何と4億5千万円である。最寄り駅ではないが渋谷駅が徒歩圏という立地を考えれば仕方が無いようにも思えるが、この価格について少し考察してみたい。

調べてみるとこの場所の路線価は112万円である。単純計算では土地代が1億9千4百万円ということになる。建物の評価は難しいが、普通の鉄筋コンクリートの住宅だとすれば新築でも5千万円ぐらいではないだろうか。土地の実勢価格は路線価よりも高いことが一般的なので、安藤建築ではない普通の鉄筋コンクリート造の住宅と考えれば2億5千万円から3億円ぐらいが妥当なところではないかと思う。

安藤忠雄の作品はどこにでもあるものではない。買いたい、と思っても売っていない。家として住み難いとか,実用的でないとか批判は沢山あるが、要は趣味の買い物である。欲しければ買う。そういうものだ。だからこの価値を評価するのが難しい。そこらあたりがこの4億5千万円に現われているのかも知れない。

面白いことにこの物件は賃貸としても紹介されている。家賃は月額100万円である。これは興味深い賃料の設定である。あなたがこの家を4億5千万円で買い、賃貸に出せば年間1千2百万円の収益が得られる。これでは利回り2.7%にしかならない。中古の収益物件をこの利回りで買う人はいないだろう。できれは10%以上、最低でも5%は欲しいところだ。つまり家賃が安過ぎるのか、販売価格が高過ぎるのかどちらかなのだ。家賃100万円が妥当で利回り10%なら家の価格は1億2千万円、5%で2億4千万円となる。もし販売価格を妥当と考えれば家賃は月額375万円から188万円になってしまう。この家賃で借りる人はいるだろうか。小室哲也は西麻布のマンションのワンフロアを借り切って月額200万円以上の家賃だったそうだが、払えずに滞納していたらしい。

やはり4億5千万円には安藤建築のプレミアムが相当に付いているようだ。ところでこの物件は2006年11月から賃貸に出ている。3年近く買い手が付いていないことになる。流石にこの金額を趣味に使える人は多くない、ということだろう。

2009年5月6日水曜日

地鎮祭

地鎮祭をすることにした。いや、実はするつもりはなかったのだが、親戚筋からの強い意見があり、することにしたのである。生和建設によると地鎮祭をする物件オーナー(地主)は半分ぐらいなのだそうである。今や地鎮祭をせずに着工するのは珍しくないのである。
地鎮祭は神社に頼むのだが、これが結構安くない。お祭りだけではなく、更地にテントを立て、祭壇や盛り土を用意するなど事前の段取りがあるのだが、この準備が大変なのだ。普通は神社はお祭りの部分しかしないので、テントその他の準備は工事会社がするのだが、工事会社もそれが専門ではないので普通は十万円から十五万円ぐらいかかってしまうらしい。神社への玉串料も含めると二十万円ぐらいになるだろうか。ところが最近は地鎮祭専門の神主、神社もあるそうで、そこでは事前の作業もセットに含まれる上に全て合わせて五万円ぐらいで納まる。前の晩から設営をするのだが大変手馴れて要領よく済ませてくれるそうだ(工事会社に頼むとこの辺りの手際はよくない)。生和建設もそういうところとコネがあるので、生和建設に頼んで手配してもらうことにした。日取りは4月12日(日)の午前10時からになった。
実際にやってみると、なかなか良いものだった。施主の私が儀式に参加して盛り土にシャベルを入れたり敷地の四方に塩を撒くのだが、生和建設の設計責任者も同様に参加するなど、建物を建てる作業は多くの人の共同作業なのだと認識を新たにできた。そしてつつがなく工事が完了することをお願いできた。手際よく進み終わるまで30分ほどだっただろうか。地鎮祭の後、地元の神社にお参りして鎮守の神様にもお願いした(こうするのが正しいやり方らしい)。

解体はあっという間に

以下は3月28日のことである。いよいよ解体の時が来た。幸いにも週末に現地へ見に行くことができた。もう解体も半ばまで進んでいると思っていたのだが、まだ家そのものには手が付けれらていなかった。中に入ってみると家具や畳などが処分されていた。そうこうするうちに重機が到着した。灯篭や手水鉢など、残すものを解体して重機で搬出したあと、いよいよ解体作業が始まった。

本当に見ていて悲しい体験だった。皮肉な事に、解体直前の整理で、この家が昭和六年に建てられたことや当初に建築されてから二回ほど増築されたことを示す書類や図面が出てきたのである。これらは聞いてはいたが直接的な証拠を見たことはなかった。他に選択の余地がないというのが私の結論だが、私の判断で築八十年にもなる家を壊すことの是非を思わずにはいられない。この家は、本家から分家した祖父が建てたもので、分家の歴史そのものだからだ。

多少の雨漏りなどはあったが、まだまだ柱や骨組みはしっかりしていた家だが、解体はあっという間だった。重機が梁や柱を引っこ抜く度にあっけないほど簡単に崩落する。縁側、玄関、座敷など見慣れた部分がたちまちに瓦礫の山に変わっていく。一時間ほどで家の約三分の二が無くなった。
今日の作業はここまでとのことだった。翌日は日曜日なので作業はなし。残りの三分の一は月曜日に解体するそうだ。残念ながら立ち会うことはできない。解体の前半に立ち会えた事を本当に幸運に思う。

2009年5月5日火曜日

韓国で思ったこと

2月に韓国に行く機会があった。ソウルにある最先端の巨大ショッピングモール、COEXモールへ行ったが、そこでの体験について書いておきたい。

ソウルでも最先端のスポットであり、東京にあるショッピングモールと変わらない。IT技術の利用については日本よりも進んでいると思われる部分もある。その一例が以下である。これはショッピングモールの案内板であが、これ自体は珍しいものではない。
あっ、と思ったのは、これが巨大なタッチパネルスクリーンになっているのだ。興味のあるエリアやお店をタッチすると、そこの拡大図や詳細情報が表示されたりする仕掛けである。凄いと思って使ってみると、これがなかなか使えないのである。まず前の人が使い終わるのを待たないと使えない。ただの表示板なら横なら覗き込んで目的を果たすことができるが、このシステムでは使用中の人が詳細情報画面や拡大図を表示をしていると、もう案内板としては使えない。急いでいる時は困ってしまう。

さらに困ったことは、ハングルのみ対応らしいことである。いや一応「English」という選択肢があるのだが、そこを押しても英語はさっぱり出てこない。操作方法が悪かったのかもしれないが、手も足も出なかった。ちなみにCOEXモールにはインチョン国際空港へ直結のバスターミナルがある。こんなことで良いのだろうか。

もう一つの困った体験が以下である。トイレに入ると、便座には全てウォッシュレットが装備されている。だが感心したのもここまでだった。いざ使おうとすると、操作パネルがハングルのみなのだ。日本ではボタン類にはわかりやすいイラストやアイコンがついていたと思うが、その程度の配慮はして欲しいものである。これでは怖くてボタンが押せないではないか。

いろいろと頑張っているのはわかるが、国際都市の最先端スポットにしては、詰めが甘い。そう思えてならない。

名古屋にある安藤建築

今日、5月5日はあいにくの雨だったが、名古屋に立ち寄る時間があったので名古屋の安藤建築を探訪することにした。まず行ったのは栄にある「J-ROOM」である。

前面から受ける印象は、神戸の北野にある「ウォールアベニュー」や「北野TO」に似ている。内部には吹き抜けと階段を巧みに配置した安藤ワールドが広がっている。地階は頭上に細い回廊が一本通り、その両側が吹き抜けなのでまるで「住吉の長屋」である。

味わい深い空間であるが、安藤の商業建築のお約束通り、最上階の3階は空き室であった。二階も三階もテナント用のスペースなのだが入り口がわかりにくいのだ。特に三階の入り口は階段を上り詰めた奥の方にある。麻布の「TKビル」と似たような構図である。

周辺のビルは中層から高層化が進んでおり、3階建てのこの作品はかなり低い方である。綺麗に維持されているが土地の利用効率から考えて建替えになっても不思議はない。

次に訪れたのが一社にある「THE QOLビル」である。

クリニックなど医療関係の団体が入居しているビルだが、全く普通のビルである。上層階は賃貸物件になっているようだ。何となくシルエットが「Grandee T Umeda」などを思わせるが、安藤を髣髴させる吹き抜け、斜めに軸線を振った壁、空間を切り取るフレームといったものが一切ないのが残念である。

祝日のためか入り口もシヤッターが降りていて中を窺うこともできなかった。

この後、個人住宅である「小倉邸」を見学した。「住吉の長屋」のようなコンクリートの直方体だが、一方向にだけ開口部あり、外に対して開いている。「住吉の長屋」よりもかなり大きい立派な住宅である。安藤らしい素晴らしい作品であった。個人住宅は、じっくりと鑑賞しずらいのが難点である。特に雨の人通りの少ない住宅地では。