2008年11月25日火曜日

再開発に立ちはだかるもの

借りたものは返す。これは社会生活の中で基本中の基本である。だが世の中には持ち主にどれだけ頼まれても、返さなくてもいいものがあるのだ。
そう、借地や借家である。旧借地借家法に基く借地や借家は、契約期限が来ても、持ち主が退去を求めても、単に借り手の都合だけでそのまま借り続けることができるのだ。どうしても退去してもらうには、金銭的な補償(いわゆる立ち退き料)をするしかなく、それも法外な額を要求されることが多い。最近に見聞した例では、借家を20年近く借りていた借家人は、立ち退き料として過去に支払った家賃総額の半額を払えと家主に要求していた。これでは何のために貸していたのかわからない。

要は持ち主の都合などどうでもいいのである。旧借地借家法(正確には借地法、借家法及び建物保護法を合わせたもの)は明治から大正にかけて制定された法律である。当時は地主、家主は金持ちで、借家人、借地人は貧乏人が多くて立場が弱かったという分かり易い構図があった。しかし今の時代には合ったものとは言い難い。実は1992年に法改正され今の借地借家法では、定期借地権、定期借家権という考え方が導入されている。この契約方式ではいかななる事情があっても期限がくれば立ち退かなくてはならない。残念なことに法改正以前に締結されている契約は旧法が適用されることになっている。未だに多くの地主、家主はこの恩恵を受けられないでいる。

人間にとって住まいは大事で借り手を保護する観点はわからないではない。しかし借りたものは返すのが道理である。一度貸したら二度と返ってこない、ではどこにも正義が無いではないか。

写真は安藤忠雄設計の「表参道ヒルズ」。商業施設だけではなく賃貸物件でもある。建設にあたり土地・建物の権利関係の整理が大変だったという。再開発の話は何度となく持ち上がったのだが、利害関係の複雑さから全て頓挫していた。安藤の熱意と粘り強い説得が関係者を動かし、完成に漕ぎ着けたそうだ。

2008年9月20日土曜日

考えさせられる世界遺産、ケベック・シティ

出張でカナダのケベック州に行く機会があった。仕事はモントリオール郊外だったが、週末にケベック・シティを観光する時間があった。モントリオールからバ スで3時間ほどである。今年はケベック・シティの400周年記念の年であり、いろいろなイベントが企画されていたようだ。

北米大陸で唯一、世界遺産に認定された旧市街は、塔門と城壁に囲まれた城塞都市であり景観がよく保存されている。さながら中世のヨーロッパの町のようである。街中の広場ではアトラクションが催され、周りの建物も内部はきれいに、そして近代的にリニューアルされた売店などになっている。

素晴らしいのだが、見て歩くうちに何故か違和感を感じるようになる。とにかく美しく、こぎれい過ぎるのである。「中世さながらに」と書いたが、本当の中世のヨーロッパの町は、そこかしこに馬糞やゴミがあり、現代人の感覚からはひどい有様だったはずだ。建物ももっと煤けて薄汚れ、手入れが及ばす壊れかけた部分もあったのではないか。そいういう生活感というか、人が暮らしている気配、生活の場と言う空気がないのである。


きれいに手入れされた中世ヨーロッパ調の町並み。広場で繰り広げられるアトラクション。周りの建物の内部は近代的な売店やレストラン。どこかで見たことはないか。

そう、これではまるでディズニーランドだ。どうしたことか今や世界遺産がディズニーランドを真似ているらしいのだ。安藤忠雄も言っていることだが、都市の記憶として街並みみを保存することは大事だ。しかしそれは生活や仕事の場としての役割を果たした上でのことではないだろうか。ケベック・シティで有名な高級ホテル「フェアモント」はフランスの古城をイメージしてアメリカ人の建築家ブルース・プライスが設計し1893年に建築された(私が観光した時、セリーヌ・ディオンが泊まっていたらしい)。旧市街の高台にあり、下町からもよく見える。どう見ても城にしか見えないが、このデザインは市民の要望だったそうだ。100年以上も前から市民が自らディズニーランド化を志向していた、とも言えるのかもしれない。

2008年8月11日月曜日

らしくなかった、安藤の東京メトロ副都心線渋谷駅

やっと安藤忠雄設計の渋谷駅を見に行く事ができた。GAギャラリーへ「現代世界の建築家」展を見に行った帰りに副都心線へ乗ったからだ。「地宙船」と名付けられた卵型の空間や三層分を貫くコンコースからホームへの吹き抜け、自然換気の採用など話題が多い駅である。

しかし実際に受ける印象はごく普通の駅である。安藤の設計でもコンコースの壁や天井はコンクリ打ちっ放しではない。内装や各種の表示板、標識なども他の駅と変わらない。恐らく東京メトロとしての規格や規則があるからだろう。期待していた「地宙船」も確かに卵型の先頭部分が目立つように配置されているが側面の開口部がかなり大きいため、全体が巨大な卵型であるとは認識しにくいかも知れない。安藤の作品は閉じた空間構成であることが多いので、卵も大半が閉じた空間だと期待していたのだが、流石に駅ではそのような設計は無理だったようだ。
それでもよく見ればプラットフォームの空調設備が組み込まれた金属製のベンチ、トーチカのような券売機ブースや駅員室・案内所など、安藤のデザインが見て取れる。

この駅を見て、学生の頃の読んだある記事を思い出した。カーデザイナーの巨匠ジウジアーロのインタビュー記事だったと思うが、ジウジアーロは次のようなことを述べていた。「世間から見れば自分は全く自由気ままにデザインしていると思われているようだが、車のデザインには皆が思っているような自由度は無い。エンジンやギアの形状やサイズ、乗員の数などからドア、ボディその他の形状はほぼ決まってくる。それに加えて各国の法律や規制なども考慮すれば、自由にデザインできる部分はほとんどない。」ジウジアーロの卓越した作品を見たことがあれば意外に思うコメントだが、真実を突いているようだ。公共建築でも駅はかなり制約の多い方だと思う。また用途も極めてはっきりしている。実は独自性を出しにくい与件だったのではないだろうか。

2008年7月25日金曜日

これからどうなる、大阪府の安藤博物館

大阪府ではマスコミに報じられている通り橋下知事が大活躍している。行政改革はあれぐらいの勢いと覚悟でやるべきで、その行動力は素晴らしいと思う。だが安藤建築のファンとしては少々困ったことになりそうな雲行きなのである。
大阪府には安藤忠雄が設計した博物館が二つある。「近つ飛鳥博物館」と「狭山池博物館」である。橋下知事は補助金削減の話の中で「図書館以外の府立施設はすべて見直し」という発言をしているからだ。なぜ図書館以外なのかはよくわからない。改革に聖域を設ない方針は理解できるし、いわゆる箱モノには好景気の時に勢いだけで作られ、その意義もはっきりせず市民の利用率も高くないものが多いからだ。


この二つの博物館は安藤らしい素晴らしいものだ。安藤の作品集にもしばしば登場するので安藤自身も気に入っている作品だと思われる。両方とも展示物や展示内容も充実しており、かなり立派な博物館である。ただ博物館としてのコンセプトなどが十分に検討されたのかどうか批判する声もあるようだ。もしそういう部分があるとすれば、それは建築家の問題ではなく、施主(つまり大阪府)の問題なのだが。

私が訪問した時、どちらの博物館もとても賑わっているとは言えない状況だった。訪問したのは年末年始とゴールデンウィークの連休期間である。特に「近つ飛鳥博物館」はその主題である古墳地帯にあるため、公共交通機関で行くには恐ろしく不便な場所にある。多少のテコ入れで状況が変わるとは思えない。かく言う私自身も安藤建築でなかったら恐らく訪問していないだろう。

どのような結論になるのかわからないが、どんな結論でも建物だけは残して欲しい。これが正直な気持ちである。

2008年7月18日金曜日

安藤忠雄のサイン本

安藤忠雄の講演会に行くと、その後に書籍の即売会とサイン会があることが多い。私も過去に2回ほど書籍を購入してサインをしてもらった。

















サインをしている時の安藤はニコニコしており、とても楽しそうだ。サインもただ自分の名前を書くだけではない。書籍の購入者の名前と安藤建築のイラストまで書き添えるという、大変にサービス精神旺盛な対応なのである。サインをするのはサイン会だけではない。紀伊国屋や旭屋のような一般の書店で売られている本にもサインとイラストが描いてあるのをよく見かける。多忙なはずの毎日なのに、著作へのサインにかなりの時間とエネルギーを費やしているようだ。

安藤の性格については、気難しいとか、怖い人のように言われる事があるようだ。過去に「細工谷の家(野口邸)」の建築を取材したNHKのドキュメンタリー番組で、安藤がスタッフをどつく場面が放映されたらしい。こういうエピソードが積み重なってイメージが出来上がっているのだろう。しかし私の限られた講演会とサイン会の経験から受ける印象は全く逆だ。少なくとも希望者全員のみならず、誰が買うとも知れない本まで含めて、イラスト付きでサインをするのは並大抵ではない。彼の読者への思いと実直な性格が伝わってくる。
















私の手元にはサイン本が4冊ある。残念なことに2冊でイラストが同じ題材になっている。彼の代表作である「光の教会」である。もちろん私は安藤にサインをしてもらえただけでも嬉しい。だがサイン会では常連の客も多いらしく、年配のご婦人には「安藤先生、今度は住吉の長屋にしてね」などとイラストに注文までつけている方もいた。とても私にはできそうにないが、安藤忠雄は快く笑顔で応じていた。

サイン会では新刊を中心に以下の本が売られていることが多い。残念ながら即売会で売っていない本にはサインはしてくれないようだ。
  • 「安藤忠雄の建築1 House & Housing」、2007年3月初版発行、安藤忠雄著、TOTO出版
  • 「安藤忠雄の建築2 Outside Japan」、2008年1月初版発行、安藤忠雄著、TOTO出版
  • 「建築を語る」、1999年6月初版発行、安藤忠雄著、東京大学出版会
  • 「連戦連敗」、2001年9月初版発行、安藤忠雄著、東京大学出版会
  • 「安藤忠雄 建築手法」、2005年2月初版発行、二川幸夫発行、A.D.A.Editor Tokyo
書店で安藤の新刊を見ても我慢して買わないようにしている。安藤の本はなるべく図書館で借りて読み、即売会で買うのである。どうせならサイン本が欲しいではないか。

2008年7月15日火曜日

一体何件あるのか、安藤忠雄の建築

安藤の作品を訪ね歩くうちにこの疑問が頭を離れない。私はこれまでに見つけた安藤建築をGoogle Mapに登録して記録している。今のところ日本国内の作品が対象だが今日現在(2008年7月15日)、218件が登録されている。既に訪問したものが92件、25件の場所が未だに不明である。しかしこれで全てではない。












私の情報源は主に書籍とインターネットだが、どうやら安藤建築の全てを網羅したリストはどこにも無いらしい。安藤の著作物にも巻末に作品リストが載っているが、どの著作のリストも完全に一致しないのだ。しかもインターネットの情報によると、それらに全く載っていない作品もあるらしい。個人住宅や商業建築では施主の意向で全く公表されないものがある事を窺わせる。

恐らく正確な数は安藤本人しかわからないのだろう。安藤は雑誌のインタビューで「今まで手がけた建築作品は一体どのくらいあるのでしょうか?」という質問に対して、「いつか仕事をやめたとき、数えてみようと思っています」と回答している。(カーサブルータス特別編集「安藤忠雄×旅 総集編」より。) 全くの勘だが、私はまだ全作品中の三割程度は未発見だろうと思っている。つまり国内には300ぐらいの作品があると推定している。意図的に安藤建築の見学を始めたのが昨年の4月なので一年三ヵ月でおよそ30%を見学できたことになる。いいペースだと思うが、多分生涯で全ての作品を見ることはないだろう。どこまで迫れるのかライフワークとして取り組みたい。

参考までに一般に手に入る書籍で、作品リストが新しくまた充実していると思われるものは以下である。
  • 「安藤忠雄の建築1 House & Housing」、2007年3月初版発行、安藤忠雄著、TOTO出版
  • 「安藤忠雄の建築2 Outside Japan」、2008年1月初版発行、安藤忠雄著、TOTO出版
  • 「ANDO Compelte Works」、2007年初版発行、Philip Jodidio著、TASCHEN
これらは写真や図版が美しく、作品集としても素晴らしい。是非ご覧になることをお勧めする。

2008年6月14日土曜日

神宮前のアトリエ、オリジナルであり続けることの難しさ

「神宮前のアトリエ」はある芸術家のアトリエ兼住宅として設計された。その後の経緯はわからないが、今は高級フレンチ・レストランとして営業している。大幅な改築が行われており、そのデザインは何とも言いようがない。












どんなに手入れをしても建物には寿命がある。また持ち主の状況も変わる。家族構成やライフスタイルの変化などで、間取りが生活に合わなくなることもある。二十年、三十年という期間では増改築もあり得るだろう。建築は作品であると同時に実用品でもあり機能性も重要なのだ。オリジナルのままであり続けるためには住む人のライフスタイルも変えられないことになる。その結果、住み手に犠牲を強いることになってしまう。ここに芸術作品としての建築の難しさがある。絵画や彫刻などの純粋な芸術作品は、完成し依頼人に引き渡された後は、意図的に変更が加わえられる事はまず考えられない。劣化や修復のために手が加わった場合ですら、真贋問題に発展する事さえある。

安藤建築の場合、施主の多くがまた安藤に増築を依頼するというデータがあり、リピート率は高い(安藤の著作「家 1969-96」では、自らこれまでに設計した家のおよそ三割は増築していると思う、と述べている)。安藤の作風は好き嫌いがはっきりし易いが、気に入った人の満足度はかなり高いのだろう。折角安藤に頼んだのなら、増改築も安藤に頼んで欲しいものである。

「神宮前のアトリエ」にはどうしても言っておきたいことがある。そこで営業しているフレンチ・レストランは高級店らしく、値段がかなり高い。当惑するのは「世界的建築家の安藤忠雄が設計した...」などと安藤建築であることを宣伝に使っている事である。これは如何なものか。宣伝に使うならオリジナルのままか、もし増改築がされたとしても安藤自身が行ったか、最低でも安藤の承諾を得た場合に限るべきだろう。料理が本物であるなら、建物も本物であるべきだ。こんな事だとレストランとしての経営姿勢まで疑われても仕方がない。

2008年6月8日日曜日

自宅、残せないつらさ

大阪市内にある自宅は、正確な竣工年度はわからないが築七十年以上は間違いないと思う。間取りが古く、傷んでいるところもある。しかし柱や土台はしっかりしているので大幅なリフォームをすれば物理的にはまだまだ使えるはずだ。しかし経済的には難しいのである。












恐らくその最大の原因は私自身がそこに住めないことだ。一昨年に母が亡くなり今は空家になっている。相続して今は私の自宅になっているが、私は仕事で東京に在住している。この状況は当面変わる見込みがない。折角の自宅がありながらここに住めないのだ。では「必要になるまでそのままに置いておけばいいではないか」と言う人もいる。不動産はこれが難しい。まず固定資産税を毎年払う必要がある。火災保険にも入っている。誰も住まない家は痛みがが早く、修理も必要になる(実際に土壁が一部崩れて補修している)。時々は親戚に様子を見に行ってもらう事もあるし、私も月に一度ぐらいは行っている。あれやこれやで年間百万円を超える出費になっているのだ。金利を五パーセントと考えれば二千万円のローンを永久に組んでいるのと変わらない。活用できない不動産は負債と同じなのだ。

そもそも自宅を所有する理由は住む場所が必要だからだ。持たない場合はどこかに借りて家賃を払うしかない。買った方が有利なのか借りた方が有利なのか、判断は難しいが、とにかく住むところは必要だ。問題は自分が住まない不動産を所有する意味である。合理的に考えれば収益を産まない不動産を所有する意味はない。つまり売却するか賃貸に出するかしかない。既に書いたように何もしない、という選択肢はない(自分の家への愛着や思い出に二千万円の価値を見出すなら別だが)。

こういう理由で、まだ使えるはずの家を壊して賃貸物件を建てることを考えている。苦しく悩ましい決断である。最近のほとんど建て替えのようなリフォーム番組を見ていると、羨ましくて仕方がない。

2008年6月3日火曜日

六甲の集合住宅I、集合住宅の傑作

安藤忠雄の代表作に「六甲の集合住宅」がある。これは今も続く「六甲プロジェクト」の一部であり、その中で一番最初に建てられた「六甲の集合住宅I」である。1983年に竣工した全20戸の集合住宅で、約60度の急斜面に建っている。地盤の強度解析に安藤が初めてコンピュータを使った作品である。












安藤はその著作の中で「建築は実際にその空間を体験することが重要だ」という主旨のことを述べており、それを実感した作品だった。現地を訪ねてみる前に作品集などでその概要を知っていたのだが、写真からは正直に言えばあまり強い印象は受けなかった。期待していなかったためもあるだろうが、実物を見て衝撃を受けたと言ってもいい。建物が放つ存在感と質感が、周囲の空間を圧倒している。

建っている場所は個人住宅、アパート、マンションが適当に混在したどこにでもある住宅地である。その特徴のない街の、行き止まりになった袋小路に面して建てられている。住宅地全体が山の斜面にあり、常に下から見上げる方向になるため袋小路に入らない限り見えない。何の変哲もない住宅街に突然出現する高い質感を持つデザインは強烈な印象となって記憶に残っている。












敷地面積一杯に建てられており法的規制のため、必ずしも安藤の納得できるデザインにはならなかったらしい。確かに安藤が得意とする空間を切り取るフレームがここにはない。テラスや路地、広場のようなパブリックスペースが設けられ、豊かな空間を感じられる設計になっているそうだが、内部を体験できないのが残念である。

住んでみたいと思う集合住宅の一つである。ただ駅から近いわけではなく、また駅から延々と上り坂である。年をとれば住めないかも知れない。「住吉の長屋」とは別の厳しさを持つ住まいである。

2008年5月28日水曜日

CUE NISHIAZABU、安藤忠雄の億ション

CUE NISHIAZABUはその名の通り、東京都港区の西麻布にあるマンションである。安藤忠雄が手がけた賃貸物件や集合住宅は多くはないが、これはその一つである。2003年に竣工し11戸ある。もともとは分譲用として建てられたらしいが、現在は賃貸できる部屋もあるようだ。中古で売りに出ている部屋があり約40㎡で七千万円弱、約110㎡で一億五千万円強という結構な価格である。さほど近いわけではないが六本木駅と広尾駅が徒歩圏である立地を考えれば、致し方ない価格かも知れない。
安藤忠雄の賃貸物件が少ない理由はその建設コストの高さにある。建築家の設計料が高いと思われがちだが実はそうではない。賃貸物件は収益率が命である。建設コストに対する家賃収入の利回りを考え、他の投資よりも有利であれば賃貸経営をするのが普通だ。
利回りを高くするため、賃貸物件では徹底的にコストダウンを図る事になる。鉄筋コンクリート造であれば極力鉄筋の本数を減らし、コンクリートの量を少なくする。これが行き過ぎたのが耐震偽装であった。

安藤忠雄はコンクリート壁の厚さなどを主に美的感覚だけで決めてしまうそうだ。またコンクリートの表面を滑らかにするため型枠に使うベニヤ板の表面に塗料を塗るなど手間のかかることをする。多くの材料と手間と高い施工技術を必要とするため、どうしても割高になる。一説では普通に建てた場合の倍ぐらいかかるそうだ。その結果賃貸物件としては成り立たなくなってしまう。いくら安藤建築だからと言っても家賃を相場の2倍や3倍にはできないからだ。

この物件のように、もともとの土地代がべらぼうに高い場所では、家賃相場も相当に高い。また土地取得コストに比べたら建築費は相対的に安いため建築費が割高であっても総額が大きく膨らむわけではない。賃貸として成り立つ可能性が高くなる。安藤建築だから億ションなのではない。億ションだから安藤建築が可能になるのだ。もちろんこの難題をクリアしても、安藤忠雄が設計を引き受けてくれるかどうかはまた別である。安藤の賃貸物件は希少なのである。

2008年5月27日火曜日

TKビル、商業建築の難しさ

最近に探訪した安藤忠雄の作品にTKビルがある。バブル期の始まりかけた1986年に竣工した、一見何の変哲もない3階建てビルに見える。地階と一階にテナントとして飲食店が入居しており、それに合わせた装飾が施されているため、正面から見る限りとても安藤の作品には見えない。












しかし外からは見えないのだが、建物の右横手から背後にかけて地階からコンクリート壁に囲まれた吹き抜けがある。建物の背後の壁は曲面になっており、そこに沿って外階段が取り付け られている。安藤らしい、実に巧みな空間構成だと思う。敷地面積277㎡という限られたスペースが上手く生かされており、ガレリアアッカと共通した空間の 豊かさを感じる。面白いことに二階と三階はメゾネットのように建物内の階段で繋がっており、さらに二階から三階にまたがる吹き抜けまで確保されている。
ただ残念なことに二階、三階は完全な空き室であった。

駅から近いわけではないが、東京都港区の大通りに面したわかり易い場所にある。借り手がつかない理由は、これも安藤建築の共通点だがアプローチのわかりにくさだろう。一階はいいのだが、二階、三階への階段は非常階段かメンテナンス用の通路のようで、お店の入り口とは思えない。もともとはオフィスビルとして計画されたようなのだが、それを割り引いても、初めて来るお客が入り易い作りではない。

ドルフ・デ・ルース著の「お金持ちになれる"超"不動産投資のすすめ」という本に面白いことが書いてあった。居住用物件が空き室になったとすれば、その理由はただ一つ、賃料が相場より高いからだ。間取りが悪いからでも設備が古いからでもない。弱点があったとしてもそれに応じて賃料を下げれば必ず借り手は現れると言うのだ。しかし、商業用物件はそうではない。商売には商売に必要な条件が必ずあり、それを満たさない限り、賃料を半額にしても借り手はないのだ。

このビルを居住用にコンバージョンすれば、面白い物件になるのではないか。特に二階、三階がいいのではないか。そんな風に思ってしまった。もちろんコンバージョンも安藤本人が手がけて欲しい。

2008年5月25日日曜日

佐々木邸跡

今日、安藤忠雄の作品である個人住宅、佐々木邸を見に行った。正確には佐々木邸の跡地であるが。この住宅は1986年に竣工した、敷地面積約380㎡の二階建ての住宅で昔の安藤の作品にはよく見られたコンクリートブロック造の建物である。実物を見る機会は永久に失われたが、出版物の写真から外観は京都にあるTIME'Sに近い印象がある。東京都港区という場所を考えればかなりの邸宅であろう。なぜ取り壊したのかわからないが、現地を見てみると道路の拡張のためのようだ。どんな理由であれ安藤の作品がたかだか築二十年程度で解体されるなど残念でならない。

環境問題の見地からも住宅は長寿命化が望ましいと思うが、個人レベルでいくら頑張っても都市計画に不備があればその努力は報われないだろう。