2009年8月8日土曜日

越境

自宅跡地を更地にして、基礎が完成した時である。施工してくれている生和建設から隣の家との境界のことで報告があった。隣の家屋の庇がわずかに越境しており、私の土地の上にはみ出しているのである。見てみると確かにそのようである。左の写真がその場所である(2009年6月に撮影)。

この越境は今回建築中の建物には影響しないため、隣の家とはお互いに事実を確認し、もし隣が建て直しや改築をする際には是正するという話になった。

長い年月を経るうちに土地の境界は次第にあいまいになる。特に戦前戦後からある住宅密集地では、お互いにどこが正式な境界かもわかっていない事も多いらしい。そんな状況で家の増改築や修理をすると、知らず知らずのうちに越境してしまうことになる。実際にこういう例は多い。私の家は築八十年ぐらいだったが、隣も似たような築年数なのである。

亡くなった母は、こういう状況を想定してか、亡くなる2年前に土地を測量し直していた。ちゃんと境界を明確にし、隣接する全ての土地の所有者と「筆界確認書」まで作成していた。土地がそこそこの広さ(500㎡以上)だったためか、この測量には七十万円ほどかかったようだ。これは土地を所有し維持管理するためのコストである。土地にかかるのは固定資産税だけではないのである。

2009年8月6日木曜日

玄関に見る、安藤建築の厳しさ

幸運にも都内にある安藤忠雄設計の個人住宅の内部を見学できる機会に恵まれた。大使館などがある閑静な住宅地にある、敷地面積136㎡、建築面積218㎡、1993年竣工の鉄筋コンクリート造3階建、最寄り駅から徒歩9分の作品である。これも売りに出ており3億6千万円という法外な価格がついている。立地や大きさからはかなりの高級住宅だが、この価格は相場よりも相当に高いと思われる。
興味深いことに、この住宅は安藤の作品集、作品リストには一切出てこない。従って作品の名前もわからない。理由として安藤本人が気に入っていないこと、または所有者が公表を望んでいない事等が考えられる。私自身が見た限り、お約束の中庭やスリット、曲面と直線の組み合わせなど安藤らしい作品で、失敗作とは思えない。

「住吉の長屋」のように雨の日は傘が無いとトイレに行けないといったことも無く、デザイン重視だが機能的には普通の家との印象だった。しかし最後に退出する祭に玄関で「あっ」と思うことが出てきた。左の写真がその玄関だが何か気が付かれたことはあるだろうか。

「上がりかまち」が半端に低いとか、そう言うことではない。下駄箱がないのだ。壁に埋め込まれた収納もない。しかもこの通路の幅や、デザイン的な観点からは何らかの収納家具を設置することは全く配慮されていない。だから家のどこかに履物類をしまうスペースを確保し、そこから靴を出し入れしなければならない。写真からその収納スペースは玄関の直ぐ傍には確保できないことがわかるだろう。

履物だけではない。傘、コート、手袋、その他の出かける際の準備は玄関に到達する数メートル手前で「完成」していなくはならない。毎日の事で、これがどれ程大変で苦痛に満ちたものなるかは想像に難くない。ある意味、このままの状態で暮らすには「住吉の長屋」以上に厳しい家かもしれない。

もしかしたら他にも見落としたことがあるのかも知れない。本当に油断の出来ない、巨匠の隠れた作品であった。

雑誌「新建築」

2年ぐらい前から雑誌「新建築」を年に2回買っている。2月号と8月号であるが、何故かと言うと2月号と8月号が集合住宅特集だからである。

もちろんそれ以外の号にも素晴らしい集合住宅の作品があり、できれば買いたいのだが一冊2千円という価格が気になってしまう。それに毎号買えばあっという間に増えて置き場所にも困ることになる。素晴らしい作品のカラー写真と図面が満載の、雑誌と言うには豪華過ぎる新建築は精神的に捨てることが困難である。だから買わないに越したことはない。

今回の2009年8月号にも魅力的な集合住宅が多数収録されている。各作品の敷地面積、床面積などの基礎データは掲載されているが、残念なことに建設費や家賃まで載っている例はほとんどない。大家の一人として、こんな素敵な作品は建築に一体幾らぐらいかかるのだろう、収益率はどうなっているのだろう、と思わずにはおられない。

どんなに素晴らしい作品でも集合住宅である以上、収益性を無視しては成り立たないはずだ。その背後にどのようなビジネス上の計算があるのか是非知りたいものである。まして作品が素晴らし過ぎて、とても家賃では回収できないように見える場合はなおさらである。