大阪の中之島を散策する機会があり、大阪府立中之島図書館へ立ち寄った。明治37年に住友家の寄付により建てられた由緒ある歴史的建築である。当時は大阪に図書館が全くなかったため、正面入り口上の銘版には「大阪図書館」と刻まれている。
残念ながらこの立派な入り口は普段は使われておらず、利用者はその両脇の通用口のようなところから出入りする。入って面食らったのはその入館手続きの厳重さである。
まず受付でロッカーの鍵を渡される。そこでロッカー室へ向かう。ロッカー室には高校で三十年間使われてきたような、錆が浮きまくったボコボコのロッカーが並んでいる。そこにバックなどの荷物をしまう。閲覧室へ持ち込みたい物品は、受付でA4サイズぐらいの透明な硬質ビニールの封筒を借り、そこへ入れて持ち歩く。海外ドラマに出てくる刑務所などへ入場する場面を思い出した。
受付で館内の写真を撮っていいかと聞くと、二階にある相談窓口へ行けという。行って聞いてみると「写真撮影許可申請書」を書けとのこと。撮影できるのは玄関ホールだけで、利用者が写らないように撮らなくてはならない。申請書に住所氏名から撮影目的(研究、観光、記念など何でもいいそうだ)、撮影時間(私は記入時の時刻から15分間とした)なども記入する。なお申請書と引き換えに写真撮影許可証(胸ポケットに留める名札のような形状をしている)が貸与され撮影中に着用する。
そうして撮影したのがこの写真である。確かにこれだけの手間をかけても撮る価値のある建築かもしれない。
いろいろな公共建築を見てきたが、特に写真撮影に関してここまでの手続きが必要なのは初めてであった。もちろん撮影禁止よりは遥かにいい対応である。非常に厳しい印象があるかも知れないが、受付でも相談窓口でも、係員は皆さんとても懇切丁寧である。私は写真だけが目的だったので館内に居たのは十五分ぐらいだろう。退出する際に受付の係員から「もうお帰りですか?お気おつけてお帰りください」などと声をかけられたぐらいである。手続きだけが何故か厳重なのである。
図書館はテロの対象になる可能性が高いのだろうか?と思ってしまった。悲しいことだが最近は図書のページを切り取ったりする利用者が多いと聞く。むしろ利用者のマナー対策だろうが、全く残念なことである。
2009年10月30日金曜日
2009年10月23日金曜日
立派だった大宰府跡
出張で博多へ行く機会があった。実は今年は何回か博多へ行っているのだが、今回はたまたま週末を博多で過ごせたので、思い立って太宰府天満宮と大宰府跡へ行くことにした。何れも行くのは初めてである。大宰府跡が予想と違っていて少し驚いた。思っていたよりかなり立派だったのである。敷地の広さや柱の礎石の数と大きさから、多くの立派な建物が立ち並んでいたことが伺える。説明の看板にある復元予想図を見ると三階建ての宮殿だったりする。大宰府は平城京のように塀で囲われており、人々は朱雀門のような大きな門から出入りしていた。また塀の外にも役所の建物が広がっていた。流石に平城京や平安京のような規模ではないが、当時の人口や国力を考えればかなりの大都市なのではないか。実際に九州の統治に加えて外交と防衛の要衝でもあった。
大宰府は菅原道真が左遷された場所であり、左遷された恨みで祟りがあったぐらいだから掘っ立て小屋のようなものが数軒並ぶだけの相当に寂れた場所を想像していた。だが全く違っていたようだ。だとすれば果たして祟るような話だったのか。私自身は東京のようなゴミゴミして忙しない大都会を離れて地方都市で暮らすのも悪くないのだろう、と思う今日この頃である。時代が違うので今の感覚では計れないが、少なくとも当時の九州にもそこで生まれ育った人々が暮らしていたわけで、そこへ転勤になったからといって嘆くなら地元の方々には失礼ではないか。
最近読んで似たような感想を持った小説が山崎豊子の「沈まぬ太陽」である。会社の金でアフリカへ何年も行けるなど、羨ましく思うのは私だけだろうか。主人公の生き様にもあんまり感情移入できなかったのは、やはり時代が違っているからなのか。
大宰府は菅原道真が左遷された場所であり、左遷された恨みで祟りがあったぐらいだから掘っ立て小屋のようなものが数軒並ぶだけの相当に寂れた場所を想像していた。だが全く違っていたようだ。だとすれば果たして祟るような話だったのか。私自身は東京のようなゴミゴミして忙しない大都会を離れて地方都市で暮らすのも悪くないのだろう、と思う今日この頃である。時代が違うので今の感覚では計れないが、少なくとも当時の九州にもそこで生まれ育った人々が暮らしていたわけで、そこへ転勤になったからといって嘆くなら地元の方々には失礼ではないか。
最近読んで似たような感想を持った小説が山崎豊子の「沈まぬ太陽」である。会社の金でアフリカへ何年も行けるなど、羨ましく思うのは私だけだろうか。主人公の生き様にもあんまり感情移入できなかったのは、やはり時代が違っているからなのか。
完成引渡しとオープンハウス
予定通りに物件が完成し、9月27日に完成引渡しが行われた。特に大きな問題もなく着工してからは順調そのものであった。本当に良かったと思う。引渡しの一週間後には近所の人にオープンハウスをした。もう入居者が決まっている部屋があり、オープンハウスでは全六戸のうち四戸しか公開できなかった。
ここが賃貸の面白いところで、貸してしまうと自分の所有物でありながら立ち入ることはできない。完成引渡しとオープンハウスが、自分の目で直接部屋を見ることのできる数少ない機会の一つだったのである。キッチンの仕様や玄関のドアなど、自分は色や質感も考えて材料やオプションを選択したわけだが、自分がそれを楽しむことはできない。自分は東京に居住し物件は大阪である。賃貸経営も一括借り上げシステムなので入居者に会うこともない。空き室が出たタイミングで大阪に行けるとは限らない。次に部屋を見る機会は何年もないかも知れないのである。完成したのは嬉しいが、そう思うと少し寂しい。
ここが賃貸の面白いところで、貸してしまうと自分の所有物でありながら立ち入ることはできない。完成引渡しとオープンハウスが、自分の目で直接部屋を見ることのできる数少ない機会の一つだったのである。キッチンの仕様や玄関のドアなど、自分は色や質感も考えて材料やオプションを選択したわけだが、自分がそれを楽しむことはできない。自分は東京に居住し物件は大阪である。賃貸経営も一括借り上げシステムなので入居者に会うこともない。空き室が出たタイミングで大阪に行けるとは限らない。次に部屋を見る機会は何年もないかも知れないのである。完成したのは嬉しいが、そう思うと少し寂しい。
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